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2013年8月31日 (土)

ただ歩くということ(後編)。

(前記事からのつづきです。)

そこでちょっと分析してみました。

マッチの場合、危険の意味がわからないという大きな原因のひとつに、

空間や位置の把握が苦手ということがあると思いました。

車が通るところ、歩行者が通るところ、止まるところ、などが

まずわかりづらいのだと思いました。

これは一朝一夕にはいきませんが、毎日少しずつ。

たとえば、歩道がない道では、「白線の内側を歩く」ということを教えたくて、

「しっろ~い、線の~、みっぎをあるこ~~うnote」というわけのわからない歌を作りました。

右側通行の通学路では「白線の右側」。

それが難しいのですが、

実際に安全な路上で「ここ」と指でおさえて示したり、

そこにマッチを実際に立たせてみたり、私が立って歩いて見せたり、

絵に描いてゆっくり教えたりしました。

そして、白線があると、必ず、その歌を歌いました。

そのうちに、白線が見えてくると、マッチは、

「きたきたsmile」という顔をみせて、歩けるようになりました。

信号や横断歩道などの交通ルールなどは、路上でも伝えましたが、

ビデオでも学んでいき、結構興味をもっていました。

ありがたいことに、登下校の時には、見本となるお友だちがたくさんいたので、

その力も大きかったかなと思います。

もちろん、いつでもマッチの動きを制せられる位置に、

私がいて、マッチの動きに目をこらしていました。

これなら、手をつないだほうがいいんじゃ・・・coldsweats01とくじけそうになりましたが、

いやいやいや、それじゃ、元の木阿弥think!と思い直していました。

手はつながないものの、

マッチの近くに目を光らせた私がいる時期はかなり長かったです。

今、マッチと手をつなぐことは全然なくなりましたが、

それでもマッチの横に並ぶことがあると、

いまだに、自然と手をつなぎたくなってしまうので、

手をグーにして耐えます。

なかなかに子離れというのは、難しく、酷なものだと思います。

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